未来回帰線招致委員会

好きなアニメは祝福のカンパネラです

もう二度とは起こり得ない

人は生きていくにあたり、非可逆の恐怖と常に寄り添っている。
典型的なものが、死だろう。


なんでこんなこと突然言い出したかと言うと、とある同人誌即売会で何気なく買った小説コピ本が、死ネタだったからだ。
このコピ本は雷のようにおれの脳を切り裂いていき、少しばかりの時間はおれの心に突き刺さったままとなるであろう。
ただ、この非可逆の恐怖が、作品を昇華させていることも紛れもない事実である。


非可逆の恐怖は、人の生き死にといった大仰なテーマに潜むのみではない。
例えば、コンピュータ上で取り扱うデータ。

音声データなら、「完全体」であるwavから、非可逆圧縮であるmp3へ。
画像データなら、pngからjpegへ。
(雑な理解ではあるが、ものの例えなのでここでは敢えて「完全体」と呼ぶ)



これらの圧縮技術は、「"ほぼ"同じような内容をより少ない情報量で表現できる」という大いなる恩恵と引き換えに、「二度と元には戻れぬ、完全性の放棄」を行っている。


この「より少ない情報量で表現できる」という恩恵は、想像以上に大きい。
昨今のCPUの処理や通信速度の性能向上は、「いかに一度に大量の情報を処理(伝達)するか」と、「いかに少ないデータ量で表現できるか」の双方向の努力があって成し遂げられている、とおれは信じている。
この緻密な、気の遠くなるような積み重ねの努力の結晶が、データ通信の処理能力の向上に多大に寄与している、と考えている。

その大きすぎる恩恵と、”たかだか”データの完全性が失われることを比べると、どちらが重要かは一目瞭然であろう。


これがwavとmp3の音質の違いが聞き分けられる人であれば、データの完全性が失われることが"たかだか"の話ではないため、データを"棄てる"に値する非可逆圧縮を拒否することに対し合理的理由がある。
ただしおれは幸か不幸か馬鹿耳なため、そんな器用な芸当はできない。
HDDとて無限ではない。限りある資源を効率よく利用するのであれば、おれみたいな人間は(支障の出ない音質の範囲で)音源なんか全部mp3で取り込んでしまえばいいのである。



だが実際には、おれはmp3の何倍もデータ量のあるFLAC形式でデータを保存している。
そこに合理的な理由は無い。
mp3という形式が「非可逆である」という事実を知ったその日から、おれはmp3でCDを取り込むのをやめてしまった。
さりとて、wavでデータを保存していくリソースを保持していないし、何よりタグの管理が面倒だった。
そんな中、おれは「可逆圧縮だし、後から完全体に戻せるし安心だわ~」という理由だけでFLACを選定したのである。

つまるところ、おれは「非可逆に対する恐怖」に駆り立てられたのである。



このような行為で何が得られるのかというと、「安心感」である。
おれは安心感を得るために、非可逆の恐怖から少しでも逃れるために、非合理的な選択を取っている。
そして、その結果として安心感を享受し、選択に満足している。


少し昔に、おれは下記の記事を読んだことがある。

この記事の18スライド目にある「デジタル時代の『あたたかみ』の話」に書かれている内容が、まさにおれが享受している「安心感」なのだろう。






と、ここまで大層なことを書いてきたが、CDの音質の話など、所詮取り返しのつく範囲である。
よっぽどな入手困難音源でない限り、非可逆でCDから吸いだしたとしても、極論を言えばCDから取り込み直せばよい話である。
既に手放したとかであれば金がかかる場合もあるが、逆に言えば金で解決可能な範囲でもある。



そんなことよりも、もっと取り返しのつかない非可逆なものを、おれは凄まじい勢いで喪っている。


若さ、時間、体力、20代としての人生経験――
1日、1分、1秒ごとに、これらを喪っている。
音源をFLACで取り込んで「非可逆の恐怖」に抵抗した気になっている間に、これらのものがどんどんと非可逆になっているのである。


だが、この非可逆は決して抗えないものであり、"それ" が非可逆であることを気にしてしまえば、たちまち気が狂うであろう。
しかし、この普遍的に発生する非可逆にいちいち発狂していては、生きていくことなどできない。非可逆に対して鈍感にならなければいけない。

今後おれは生きていくうちに、冒頭で挙げたような同人誌でもなんでもなく、現実で身近な人の死を経験し、否応なく非可逆を自覚させられるだろう。
その時が来たとしても、いずれおれは非可逆であることに鈍感になりながら生きていくだろう。狂わぬように。


いや、非可逆に鈍感になること自体が、既に狂っているのかもしれない。
世の人々は常にこの狂気を傍に置きながら、平静を装って生きているのだろうか。
おれはまだ分からないし、分かるようになるかどうかも分からない。